名和神社(なわじんじゃ)

文化施設歴史
鳥取県西伯郡大山町名和556 0859-54-2260 (※土・日の日中のみ連絡可)

名和長年とその一族を祀る神社
実は山陰有数の“花の名所”でも有名な場所

本文

後醍醐天皇を隠岐の島から迎え、一族郎党を率いて船上山に立てこもり、王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年公をはじめ、一族郎党42人の英魂をまつった元別格官幣社です。

現在の名和神社は明治16年に旧社(今の氏殿神社)をそのままに新しく建てたもの。神社の規模としては鳥取県内でも最大級を誇り、明治16年に初めて参道に桜が植えられ、桜の季節になると多くの人が訪れます。

本文2基本データ

 

その他歴史にまつわる関連スポット

「後醍醐天皇の御腰掛の岩」…後醍醐天皇が隠岐から脱出の際、体を休めるため腰かけられたと伝わる岩
「三人五輪」(首塚)…名和長年公と息子たちの墓
「的石」…弓が大変上手だった長年公がたくさんの稽古をしたと言われるタテ170センチ、ヨコ150センチの大きな石。雨上がりに、石の表面に的の形が浮かび上がる
「長鋼寺」…今から約680年前、名和長年公が父・行高の60才を祝って建てた隠居所が始まりとされる、名和一族の菩提寺。裏山には一族郎党の墓(五輪群)がある。
「名和公屋敷跡」…名和氏2代の屋敷跡と伝えられる場所。
「一斗六升」…名和軍が船上山へ向かう途中、兵糧米の重さに堪えかねて、荷を減らしたと言われる場所。

ほかにも、周辺には後醍醐天皇と名和公にゆかりの史跡や地名が多く残っています。
所在地 鳥取県西伯郡大山町名和556
電話 0859-54-2260(名和神社) 土・日の日中のみ連絡可
駐車場 あり
アクセス (車)山陰道名和ICよりR9方面へ、二つ目の交差点を左折、名和神社方面へ。約5分

おススメ

お米一粒がひょっとするとお宝に!?

名和神社周辺は名和長年の倉の跡との言い伝えがあり、現在でも社殿の裏から焼き米がでてくると言われています。お米が落ちていたらそれはひょっとするとお宝発見かもしれませんよ。

また、名和神社のほかにも後醍醐天皇・名和長年にまつわるスポットが充実。歴史に詳しくない人でも後醍醐天皇や名和長年の名前ぐらいは聞いたことあるのでは。スポットを一つ一つ歩いてみると、今まで果てしなく遠い過去の出来事が少しリアルに感じられ、もっと詳しく歴史を知りたくなるかもしれません。

観光施設へのご相談は上記の電話番号または公式サイトからお問い合わせください。

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