国立公園 大山(だいせん)について

大山風景

海抜1709mの大山は中国地方最高峰
北西側の姿から別名「伯耆富士」

大山は1936年(昭和11年)、日本で3番目の国立公園となり、その後1963年(昭和38年)に蒜山地域、隠岐島、島根半島、三瓶山地域が追加指定され現在の「大山隠岐国立公園」となりました。
富士山とは大いに異なる複成火山で、古期の成層火山と新規の鐘状火山とからなり、山頂部分の大円頂丘は傾斜30度、比高840mにも及ぶなど、後の小爆発や烈しい侵食と崩落によって、南壁や北壁の急崖を形成。なだらかな傾斜の西側の風景とは異なり、険しい山容を描き出しています。

ちなみに、大山町から見る大山は「北壁」(きたかべ、ほくへき)にあたります。それは尾根づたいの弥山(みせん)~三鈷峰(さんこほう)北縁の馬蹄型大断崖で、比高400m、長さ2kmにわたり屏風型の岩肌がそそり立っています。
その要因は爆発か、円頂丘(頂部分中央の穴)の目のあらい安山岩溶岩に働いた侵食かによる結果とされています。

環境省「日本の国立公園」 -大山隠岐国立公園-

環境省では、日本の国立公園を「世界水準のナショナルパーク」としてのブランド化を図る「国立公園満喫プロジェクト」を推進しています。
大山隠岐国立公園は、そのプロジェクト全国8箇所の1つに選定されました。

日本の国立公園 バナー

大山山麓地域の日本遺産認定

平成28年、鳥取県の第2号として大山山麓地域(大山町、伯耆町、江府町、米子市)における「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」が日本遺産に認定されました。

 

日本遺産 大山 | 地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市

 

大山の自然

大山の貴重な自然景観をまもる自然公園
特別保護地区内では、小石一つにも規制があります

大山は、大山隠岐国立公園に指定されていますが、 公園区域内の保護については「自然公園法」に定められています。
勝手に建物を建てたり、道路を広げたり、広告用の看板などを取りつけることはできません。その中の「特別保護地区」内では、動植物の採取はもちろん、石一つ持ち帰ることも規制されています。
これは、貴重な自然景観を永く残していくため、地球がくれた産物を次世代へと語り継いでいくためなのです。

みなさん、自然を大切に。

大山の自然

野鳥保護区、自然林の保護区にも指定
大山に生息する貴重な動植物たち、天然記念物も

  • 海抜800m以下の山麓帯
    アカマツやコナラの林が広がっています。
  • 800m~1300mのエリア
    西日本最大級のブナの森が鎮座。大山のミズナラ混合林とブナ帯は背の高い樹木で微生物も多いため、1000種を越える昆虫のほか、日本に生息する野鳥の種類の3分の1が生息するといわれています。
  • 1400m付近から
    特別天然記念物にも指定されるダイセンキャラボク純林が広がります。ダイセンキャラボクは常緑の低木で、イチイの変種。日本海側の高山に分布するもののその姿は貴重。鳥取県の県木としても知られています。

 

『大山環境宣言』(2013年[平成25年] 6月1日採択)について

大山は非常に自然豊かな山ですが、全国に先駆けて官民一体で、頂上保護や美化活動に取り組んできた山でもあります。その代表的な取組みが「一木一石運動」。
1980年代当時、オーバーユースにより裸地状態だった頂上を、大山を愛する人たちが行動を起こし、現在のような頂上一面に緑を蘇らせました。

この長年の活動を評価し、次の世代につないで、大山の恵みをいただく豊かな暮らしを続けていくために、2013年(平成25年)6月1日大山夏山開き前夜祭において、『大山環境宣言』が採択され、活動の輪を広げていくこととしました。

 

大山の水

大山の水

広大な天然ブナ林の涵養性に育まれた清冽な水
あのペットボトルの水も大山から汲み上げられたもの

 大山のブナ林と水の関係をご存知ですか?
 森の涵養(かんよう)性とよく言われますが、ブナの木は20万から30万の葉をつけるといわれています。やがてその葉が落ちて、腐葉土となりその保水力の高い天然のスポンジは雪解け水や雨水を貯えます。
 この水が再び地表に湧き出してくる時間は20~30年。栄養分たっぷりで、里の田んぼを潤し、日本海に流れ込みます。大山町のサザエの水揚げがダントツ県内一なのは、このため。
 大山山麓には、多くの湧き水・名水ポイントが点在します。
 大手飲料メーカーの工場が進出し、あのペットボトルの天然水もこの大山山麓が採取地。
 赤ちゃんの飲み水に適した軟水です。

 

大山の周りの峰や山

大山の周りの峰や山MAP

孝霊山(こうれいさん)

孝霊山は大山町と米子市(淀江町)の境界にある神秘なる山で、その標高751m、瓦山(からやま)、韓山(からやま)との別名があります。大山火山の側火山で、山体を構成する岩石が比較的新しいことから、新期大山の活動初期に寄生火山として形成されたものとの見解に。麓には弥生時代の大規模集落として有名な「妻木晩田遺跡」や「伯耆古代の丘公園」があり、神秘なる山との由縁は、その昔、高麗の国の人たちが大山と背比べをするため、運んできた山との伝説があることからそう語り継がれています。

三鈷峰(さんこほう)

海抜1516mの三鈷峰は、大山の主峰「弥山(山頂)」から尾根づたいで北東約1kmの場所にあるとがった三角錐状の孤立峰。新期大山(約20万年前~約2万年前)の活動期にできた溶岩円頂丘で、噴出時には大量の火山灰も放出されたとみられていますが、その北西斜面は多雨量をもたらす冬の季節風の影響で烈しい崩壊現象が進んでいます。古来より修験の行場として知られ、その名は仏具の「三鈷」に似ていることからそう名付けられたそうです。

烏ヶ山(からすがせん)

大山南東側にある側火山の一つで海抜は1386m、原地形は約2万年前の噴火による溶岩円頂丘によるものと見られています。その後の烈しい崩壊や侵食により、急峻な山容を描き出していますが、活動期の火山灰は、広く大山の東、南方にも広がっており、火山砕屑流は旧侵食谷を埋め、鏡ヶ成(かがみがなる ※江府町)、下蚊屋(さがりかや ※江府町)、笹ヶ平(ささがなる ※江府町)などの高原面を形成。山の名は修験道と天狗、烏信仰との関連説があります。

鍔抜山(つばぬきやま)

大山の北方3kmのすそ野斜面に突出する新期大山の寄生火山で、溶岩円頂丘の原形をとどめ、青灰色の紫蘇(しそ)輝石、角閃石などから形成されている海抜705mの山。風化などの状態から察するに、同じ寄生火山でもある鈑戸(たたらど)山、鍋山などより新しいと考えられており、東方の一息坂峠との間には、山腹の低木雑木林を距てて香取地区が広がっています。この山を探す方法は至って簡単で、山頂にある無線中継所を見つけること。

船上山(せんじょうざん)

古期大山(約数十万年前~約20万年前)火山の外輪山北縁の溶岩台地で、状態から察するに測定年代は約35万年前と言われています。台地の西、北、東の三方は急崖に囲まれ、特に印象的なのが通称「屏風岩」と言われる、南北900mにわたって比高100mで形成される断崖で、この景勝は、崖上の「千丈のぞき」からの展望、落下する雄滝(おんだき)、雌滝(めんだき)などとも相まって素晴らしいロケーションを描き出しています。ココ船上山はかつて隠岐を脱出した後醍醐天皇が、名和長年公とともに再び決起した場所としても有名です。

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