下山神社

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とある郡を治める郡司だった渡辺源五郎照政は、毎月必ず大山寺に参拝し、僧侶とも親しくしていました。
しかしある時、参拝の途中で隣の郡の郡司とけんかになり、照政は命を落とします。
かわいそうに思った僧侶たちは下山という場所に照政のお墓を作りました。
いつしかお墓の周りには、白いきつねが住み着くようになり、人々はこのきつねを照政の生まれ変わりと信じるようになりました。
その後、僧侶たちは利寿権現社の近くにほこらを作り、照政を下山善神としてまつりました。
文和元年(1352)に下山善神から、社殿を新しく造り、地下から掘り出される仏像をまつるよう、お告げがありました。
移転先の地面を掘っていると十一面観音立像が見つかったので、驚いた僧侶たちはお告げの通りにこれを下山善神の本地仏としてまつりました(現在は大山寺霊宝閣で展示)。
なお、この時から社殿の位置は現在まで変わっていないと考えられます。
社殿には神様の通り道と言われている丸い穴が左右ともに開いています。
伝説によると照政は白いきつねの姿となって夜な夜な穴から抜け出し、願い事を叶えて回っていたそうです。
しかし、中には難しい願い事もあり、その時には大智明権現の力を借りていたので、大神山神社奥宮にも同じ通り道が開いています。
現在の社殿は文化二年(1805)の再建で、国指定重要文化財です。
再建の時に津和野藩亀井家が寄付していることから、建物には亀井家の家紋である四目結があしらわれています。

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