利寿権現社跡

利寿権現社(りじゅごんげんしゃ)跡

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利寿権現は、大山寺の最も重要な三柱の神様(大山三所権現)の一柱で、仏としての姿(本地)は文殊菩薩です。西明院に所属する社殿で、利寿権現は山頂の池から西に飛び去ったとされ、三所権現のうち最も西に位置しています。

現在は社殿の一部の礎石が残り、貞享元年(1684)以降の改築や再建の記録がないため、当時の権現造の姿をそのまま留めている可能性があります。

文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」と言うように一般的には知恵の象徴となっています。しかし、大山寺の利寿権現は特に病気治癒にご利益があったようです。怪我や病気を治すと言われる「利生水(りしょうすい)」や、祟りによる病を治したお告げなどの伝説が残っています。

神仏習合と大山寺

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神仏習合は本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)により定着した日本固有の信仰のあり方です。本地垂迹説とは「日本に古くから在る八百万の神々はみな、仏が仮の姿となって現れたものである」という考え方で、仏教が日本に根付くきっかけとなりました。神の本来の姿である仏のことを本地といい、仮の姿で現れている神のことを垂迹といいます。日本仏教ではその仮の姿の神を「権(かり)」に「現」れる、と書いて権現(ごんげん)と呼びます。

「ある時、大山の山頂に五つの池ができ、その中央の池から文殊菩薩・観世音菩薩・地蔵菩薩が現れました。その後、文殊菩薩は西へ、観世音菩薩は東へ去り、地蔵菩薩は中央に留まりました。これを三所権現といいます。」 (『大山寺縁起ノ巻』の内容を意訳)

大山寺では大山三所権現と呼ばれる神様が信仰の中心でした。大山寺本尊の大智明権現(本地:地蔵菩薩)、西明院の利寿権現(本地:文殊菩薩)、中門院の霊像権現(本地:観世音菩薩)の三柱です。

三院からなる大山寺

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大山には小さなお寺が多く集まっており、中門院、南光院、西明院と呼ばれる3つのグループ(三院)のいずれかに所属していました。三院はそれぞれ独自の信仰をもち、中門院は大日如来と霊像権現(本地:観世音菩薩)を、南光院は釈迦如来と金剛童子(本地:薬師如来)を、西明院は阿弥陀如来と利寿権現(本地:文殊菩薩)を大切にしていました。三院は争いを繰り返しながらも、大智明権現(本地:地蔵菩薩)への信仰を最も重要とする点で一致し、やがて13世紀前半までには「大山寺」という1つの組織にまとまっていきました。

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