本坊西楽院跡

本坊西楽院跡

この広場の後方、森の中に、1605年頃に大山寺の本坊となった西楽院がありました。その壮大な建物は、主門だけでなく僧侶と侍のための別の門があり、幅は40m以上ありました。2世紀半ほどの間、広大な仏教教団と共に栄えましたが、政治上の事件のため、19世紀末には徐々に衰えていきました。
古くから日本の精神文化は仏教と神道が共存していました。しかし1868年の明治維新後、新政府は2つの宗教の分離を余儀なくされ、仏教を弱体化させ神道を促進する運動を展開しました。寺領は接収され、僧侶は神職への転向を強制されました。西楽院は破壊されませんでしたが、1875年9月30日の大山寺の寺号廃絶により、維持不能となりました。その後数十年間に渡り、かつて壮大であった院は徐々に崩壊しました。


※この解説文は観光庁の地域観光資源の多言語解説整備支援事業で作成しました。

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