信濃坊源盛の碑

信濃坊源盛の碑

源盛(?-1357)は大山寺の寺務をつかさどる住職であり、伯耆国(現在の鳥取県西部)の14世紀の武将である名和長年(?-1336)の弟でした。1333年、兄の長年公が鎌倉幕府を倒し天皇制を復活させる特命をうけ、後醍醐天皇(1288-1339)を支援するために船上山で挙兵したとき、源盛は多くの僧兵を様々な地域より召集して兄の義挙に加わりました。後醍醐天皇の復権は最初は成功しましたが、支配は短期間でした。1336年に武家政権は室町幕府を立てて権力を取り戻し、1868年の明治維新まで日本の軍事支配は5世紀以上にわたって続きました。源盛は1357年に肥後 (現在の熊本県)の八代にて、56歳で亡くなりました。建武の新政への貢献を称えて、彼の没後、皇族によってこの記念碑が建てられました。


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